志築塾の歴史「たった一人の通塾生」

それまで建設会社の副社長をしていましたが、12月いっぱいで辞めるつもりでいました。
その後は、学習塾をやりたいと思っていたので、10月からホームページの開設など準備を進めました。
再就職か、それまで培ってきたノウハウを生かし、経営コンサルタントもやっていこうと考えていました。
知人の紹介で企業の経営顧問を1社と数社からの就職オファーがありましたが、すでに、建設会社はやめていたので、
なかなか思うようには決まりませんでした。学習塾の方はお子さんの勉強に関する質問ばかりで、しかも通塾不可能な場所からの問い合わせばかりで、入塾に関する問い合わせは一本もありませんでした。そして半年が過ぎました。もうあきらめようとしていたら、知り合いからの紹介で1本の電話が入りました。入塾したいとの電話でした。実はまだ場所さえ作っていませんでした。近くの文房具屋から小さなホワイトボードを買い、本屋へ行ってテキスト用意し、テーブルは食卓テーブル、畳の部屋に木製の敷物を敷き、急場の教室を作り出しました。それから数か月、やっと塾生が増えてきました。でも、算数大嫌いな子・不登校の子など概ね問題のある子でした。でも、この苦労がのちに生きてこようとはまだ気が付いていませんでした。最初の子は翌年、光星・藤・聖心に合格。光星に入学しましたが、優秀なお子さんでした。塾を初めて1年足らず、息子が生まれました。最初は僕が19講で、カツラ先生が2講でしたが、一年後には半々になっていました。退院した日にカツラ先生は授業をしていました。入院中、授業を一人で僕がやっていたので、眠くて、パソコンで仕事をしている最中に、そのまま床に落ちて、頭を打ち、差し歯が飛び出し割れてしまいました。そんな日々でしたが、なんか教える楽しさがわかってきたような気がしました。2年目は6名。立命館1名・日大3名・光星1名・藤1名・北星1名・大谷2名、合格数9個を獲得しました。岩見沢や北広や室蘭など遠方多かったですが、確かな実績を残してくれました。

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