志築塾の歴史「中高一貫の中学校の選択」

いつも言ってますが、複数合格した時の中学校の選択は、本人に選ばせるのがいいと思っています。
それでも、その子に会っている学校はあるもので、私なりの見解は持っています。
*体の弱かったA子の父が来塾しました。体弱かったA子には近くの学校へいかせたいといいました。
彼女の優れた才能はちょっと遠いが他の学校を勧めました。激論は続きました。他の部屋で聞いていたカツラ先生は喧嘩をしているように見えたと言ってました。1時間後、「A子の才能を伸ばしてくれたのは志築先生です。親として娘の可能性に掛けてみたい。そのために、いろいろ考えてみます。」その後、彼女は見事な成績で僕が勧めたコースへ優秀な成績で合格。その後、才能を生かして大活躍しています。
*B男は塾近くに引っ越してきて、他塾から転塾、6年生からの入塾でした。他塾での積み上げが不足していたので、なかなか成績を作るのに時間がかかりました。それでも、まじめな彼は、徐々に成績を伸ばしてきました。最後は、α校、β校、γ校、すべて合格しました。本人はα校、ご両親はβ校、僕が勧めたのがγ校。勿論、彼の未来に必要なところを全部考えての勧めでした。次の日、お父さんと本人が僕の勧めた学校へ色々聞きに行かれました。結局、γ校へ。その後、彼はγ校でトップを走っただけでなく、未来に必要な明るさ・積極性・リーダーシップを身に着けて、見事に変身しました。
*C男、2年ぶりに(中3)の時に、やっぱり塾生だった子とやってきました。あれだけ手のかかった子が、立派に変身してました。6年生の秋、あまりにも勉強しないので、志築先生の堪忍袋の緒が切れて、本人には二度と塾に来るなと、そして母を呼びました。僕が勧めたい学校があって、いい学校で息子さんに適してると1時間、お母さんを説得しました。解ってくださいと机をたたいて迫りました。次の日、玄関にお母さんと本人。本人から「ちゃんと勉強します。塾を続けさせてください」と。初めての敬語で、頭を下げました。その年、その学校を10名、受けました。なんとトップで合格。道端で僕を見つけると遠くから自転車を全速力で「先生!」と大声を出しながら近づいてきます。
*D子は塾を転々。当塾にたどり着きました。ほとんど口を開かず、半年が過ぎました。根気のいる戦いでした。それでも、彼女には、他を気遣う優しさがありました。「こないだ休んだ子、どうしてる?」「あの子なんか暗いけどどうしたんだろ?」このやさしさが花開きます。一年後には誰よりもおしゃべりになってました。相変わらず、他への気遣いは変わりません。最も塾を愛してる子になってくれました。合格後、お母さんと話し合い、通う学校は僕の勧めた学校へ3時間かかって決めました。楽しい6年間を過ごしたのは言うまでもありません。
こんなに強く、特定の学校を勧めることはほとんどないんですが、本人の未来のために、そして、楽しい学園生活を過ごしてもらうために時に強く進めることもあります。そのため、中学の先生との交流や送り出してからの生徒との交流を大事にしています。

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