マトリックス(映画な日々 vol.8)

シネコンがあちこちに出来てきた。子供も大きくなってきたので、シネコンでそれぞれの好きな映画が見れるようになった。確か、娘をジブリアニメに連れて行ったとき、時間が同じだったので、久々の映画館で「マトリックス」を見た。江別のシネコンだったのだが、混んでいた。それでも、前から3列目に一つだけ空席があった。暫く行ってなかったので、音の変わりように驚いた。画面から外れたところから声が聞こえる。音楽なんか取り囲むように聞こえてくる。いわゆる、ドルビーサラウンドである。マトリックスの面白さに音が加わって、「なんてすごい映画だ!」と思った。このことが「映画な日々」の再現となるとはそのとき、まだ思ってなかった。
マトリックスはリローデッドまでは、最高で、レボリューションは終わり方が訳がわからないと評価を下げた。しかし、僕は、3作とも、大好きです。
アニマトリックスご覧になった方は、良く知っていると思いますが、「世界は、ロボットと人間の共存時代になります。ある時、ロボットが人を殺します。ロボットが悪くなかったんですが、ロボットを守る法律はなく、死刑の判決。ロボットたちは反乱を起こしますが、鎮圧され、残ったロボットはサウジアラビア辺りに、ロボットだけの国を作ります。ロボットは年中無休で働き、ロボットの作ったものは安くていい商品だったので、世界中で売れ、ロボット国は経済力を持ちます。遂に、恐れた国連は、ロボットが太陽電池で動いていることに目を付け、ロボットの国を黒雲で覆います。ロボットは原爆でも落ちたように、ばたばた倒れます。怒ったロボットは遂に人間への攻撃を開始します。ロボットの方が圧倒的に強かった。そのロボットたちは太陽電池に変わるロボットのエネルギー源として、人間に目を付け、人間の生体エネルギーを使うことにしました。マトリックスでも、人間が電池になっているところが出てきます。その電池になった人間に見せていたのが、マトリックスな世界、つまり私たちが現実だと思っている世界。ネオは電池から脱出し救世主の道を進んでいきます。」この電脳の世界は、「攻殻機動隊」が元になっています。「電車男」(映画)で主人公がビデオ店から出てくるときにこのことを「ヘルメス」に話して聞かせます。マトリックスの世界観は哲学的だあり、宗教的です。バーチャルリアリティな世界が、プログラマーによって作られたものであれば、プログラマーはその世界の神です。プログラムされたものであれば、何度も繰り返すことが出来ます。まるで運命のように。でも、その記憶はありません。マトリックスでは、スミスがバグと化して機械社会さえ飲み込もうとしている事を機械社会に自ら乗り込んでネオは訴えます。やがて、機械社会はバグに対する丁度そのバランスとしてのネオに、対決を許可します。スミスは勝利の証として、ネオをスミス化しようとし、瞬間、機械世界にバスターされます。すべてがプログラマーの創造であれば、決められたエンディングのみ待っているのでしょうが、この映画は最後に「愛」により、運命を切り開く「ネオ」により、新しいストーリーに変化します。そこに、ほんのわずかですがコンピュータでは手の届かない、予想できない結末が、待っていました。そういう意味で、ネオは救世主になったと言えます。」
自分の現実と生かされている意味。絶望と希望。出来ない理由を並びたてても何も変わらない。可能性が0でない限り、チャレンジする意味はあります。むしろ、可能性が低いほど、達成感は大きいし、自分の独自の経験となり、それが、生きる意味であり、存在意義だと思っています。マトリックスは僕のその後の人生を大きく変えます。to be continued

Trackback URL

コメントをどうぞ