‘音楽’ カテゴリーのアーカイブ

明けましておめでとうございます。

2009 年 1 月 1 日 木曜日

今年は4日が日曜日で、平年よりゆっくり出来るお正月ではないでしょうか。札幌は天候大荒れの年末でしたが、31日夜半には、雪・風も止み、穏やかな正月を迎えることが出来ました。早速、カウントダウンお宮参りに行ってきました。この地区の神社は北海道神宮ですので、そこに行って来たのですが、さすが、神宮、凄い人出でした。厚着をして、寒さ覚悟で行ったのですが、あったかくて、ゆっくりお参り出来ました。おみくじは、吉。(いつも、ほとんど、吉か小吉なんです。)「気の合う人と、楽しく仕事をすること」だそうです。どんな今年が待っているのか解りませんが、なにしろ一生懸命やるつもりです。
さて、昨年後半から、日本はサブプライムローンに端を発した全世界的不況の影響で、経済情勢、雇用情勢の大変厳しい時代となりました。当面、好転する材料がない中で、国の対策が待たれるところですが、官庁におんぶにだっこで無策の自民党、選挙一辺倒の民主党。政治に期待するのは残念ながら無理のようです。恐らく今年も、自分で自分を守る以外方法はないのではないでしょうか。4日から始まるNHK大河「天地人」の直江兼続は主君上杉景勝が会津120万石から米沢30万石に減封された後、家来の首を切らず、殖産興業や鉱山開発に努め、2倍の収入に高めたそうです。安易に失業者をいっぱい作るのは得策とは言えません。むしろ、個々の自覚の下に経営を前に進めていくことが時代を切り抜ける最善策なのではないでしょうか。社を興し、地場トップ企業まで育てた社長が言ってました。「不景気の時に儲かってこそ商売だ。」と。その気力が困難を乗り越える最大の武器なのかも知れません。不景気だからこそ必要なこと、不景気だからこそ発想できること、必ずあります。明日から世の中の皆が給料が下がり、皆が失業するわけではありません。収入が増える人は少ないでしょうが、そんなに下がらない人はいっぱいいるでしょう。消費感は低下するでしょうが、消費を喚起するのは可能なのではないでしょうか。その消費意欲を生み出す発想力がきっと勝敗を分かつでしょう。弱気になって元気をなくした者から退場することになるんだと思います。
 みんなで体に気をつけて、がんばって今年を良い年にしましょう。

今年一年、がんばっていきましょう!!

よいお年を!

2008 年 12 月 31 日 水曜日

12月に入って、ブログをいったん休止。読者の要望に答え、再開したものの、精神的に落ち込みが激しかったのと、体の調子が悪かったので、休みがちになってしまいました。ブログ開始前に、書き溜めたものがかなりあるんで、それを載せようかと考えましたが、今の気持ちでは書いてないので止めました。
来年は新しい気持ちで、ブログ、やりたいと思います。
受験生をお持ちのお母さんはじめ、お子さんの将来や勉強に悩んでいる方は、是非、メール等頂ければと思います。
来年が皆さんにとって良い年でありますように、祈念いたします。

ブログ、再開します。

2008 年 12 月 18 日 木曜日

休んで、気が付いたのですが、結構、読んでくれている方々がいらっしゃるということです。
まだ、勤め先は決まっていませんが、自分日誌のつもりで、再開します!

暫く、ブログをお休みします。

2008 年 12 月 12 日 金曜日

12月で、会社を辞めることになったので、暫くは、仕事探しします。

僕の選んだ今年の紅白

2008 年 11 月 28 日 金曜日

男性:(ビーズ)、ミスチル、EXIT、SMAP、(嵐)、東方新起、平井堅、(greeen)、羞恥心、(オレンジレンジ)、(スキマスイッチ)、(レミオロメン)、キマグレン、コブクロ、(ゴスペラーズ)、ポルノグラフティ、徳永、トキオ、(郷ひろみ)、(沢田研二)、布施明
北島、氷川、森、五木、ジェロ
女性:(安室)、(ドリカム)、倖田、浜崎、青山、中島、(柴咲)、パフューム、(ミリヤ)、いきものがかり、(松田)、スピード、大橋のぞみ、平原、絢香、(宇多田)、アイコ、アンジェラ、大塚、一青よう
水森、小林、天童、石川、和田
()は出場しない人。
演歌は5にしました。(和田あき子は演歌扱い :mrgreen:
出ないところでは、ビーズ、アムロ、ドリカム、宇多田は断ったようです。サザンは休止だからね。嵐は、ジャニーズ系では一番売れてます。ドラマも。ジャニーズ枠2らしいです。オレンジ、スキマスイッチはすでに出ていますが今年はヒットがなかったね。レミオロメン出て欲しい。ゴスペラーズ、外しちゃいけません。郷、沢田、布施、今年がんばってました。
柴咲は今年歌手がんばってやってた。なんで?ミリヤ、ベスト最年少一位。聖子はいたほうがいい。
演歌は11時過ぎ固めてはどうか?
こんな紅白ならいいね。納得?
あっ!ファンキーモンキーベイビーズとキマグレンと清水翔太とガールネクストドアとショコタン迷った。

フォークソング(音楽な日々 vol.4)

2008 年 11 月 21 日 金曜日

高校時代、僕らは、洋楽でしたが、世間の学生はフォークソングへと移っていきました。皆が、ギターをもって歌っていました。たまたま、うちに古いギターがあったので、ちょっと弾けました。父が若い頃、バンドをやってました。笑えるのは、三味線が入っていたことと、ドラムがなかったこと。父は三味線をやっていたそうです。一度だけ、弾いているのを見たことありますが、相当なもんでした。映画が好きで、音楽が好きで、絵がうまかった父。僕が、それらを好きになったのは、間違いなく父の影響だと思います。
結局、トレンドに弱く、友達と三人でバンドをすることになりました。歌うことが好きだったので、自然とボーカルをするようになりました。ピ-ターポールアンドマリー(PPM)やサイモンとガーファンクルなんかをへたくそな英語で歌っていました。特に、本とはずっと前に出ていて歌っていた「サウンドオブサイレンス」などの映画「卒業」(ダスティーホフマン)の歌は好んで歌っていました。学校主催の2泊3日のキャンプの最終日のキャンプファイヤーの時、僕たちも出ることになっていました。恋焦がれていた子も一緒に行っていたので、ここが見せ場といっぱい練習していきました。ところが、ザンザン雨が降って、キャンプファイヤーは中止。結局、男ばかりのテント(テント内は男女の交流禁止)内で、それも、皆で、一晩中歌ってました。受験は目の前に迫っていました。to be continued :cry:

深夜が主戦場(音楽な日々 vol.3)

2008 年 11 月 14 日 金曜日

中学に入り、歌や楽器はきっぱり止めた。小4・5・6と釧路市の絵画コンクールで入賞していた事と、担任が美術の先生だった事がきっかけで、美術部と統計図表クラブ(釧路の産業や行政の統計をポスター的にし、発表するもの。統計そのものより、ポスターが評価される。たとえば、釧路港の漁獲高と水揚げする魚の推移とか。)絵の方は、1年時、炭鉱の風景を書いてバターナイフで描いて入賞した。統計も友達と二人でやった確か題名が「伸びる釧路市の教育予算」で道内3位に。(自慢、入ってます。 :mrgreen: )音楽はもっぱら、深夜ラジオになっちゃいました。でも、深夜放送の走りであるTBSの「東京ミッドナイト」で土居まさるが有名になっていました。(後に「TVジョッキー」を担当、土居まさる死後、タケシとタケシ軍団がやることになる。)そして、ご存知、「オールナイトニッポン」月曜の糸居五郎さん。火曜の斉藤あんこうさん。金曜が亀淵あきのぶ(今の日本放送の社長)土曜の鶴光。
続けて、北海道でも、深夜放送が始まり、北海道26時はご存知の方も多いでしょう。毎日、聞いていました。はがき合戦を繰り広げ、学校では、自分の名前が呼ばれたことが、自慢でした。愛の告白も、リクエストはがきでやってました。「僕は、聖子さんが好きです。この曲をプレゼントします。Y男」次の日、学校では、「Y男は誰?」の話で持ちきり。堂々と本名で告白するつわものさえ出てきました。(歌はどこ行ったの?状態)
この時代は、ビートルズ全盛。音楽は洋楽一辺倒でした。「イエスタデイ」「ミッシェル」「レットイットビー」「ヘイジュード」「ハローグッドバイ」「ゲットバック」「ロングアンドワインディングロード」など今でも歌っています。

歌のコンクールでの失敗(音楽な日々 vol.2)

2008 年 11 月 14 日 金曜日

5年生の時、学校で鼓笛隊が結成された。たて笛の試験があり、僕は選ばれた。すべて5年生で確か30人ほどだった。釧路市で赤十字の記念大会があり、期間も無かったことから、毎日、猛特訓だった。僕は笛が大好きで、一番上手いと自認していたが、指揮に回った。左利きの僕にとって右手で操らなければならない長い棒に悪戦苦闘することとなった。担任の先生は鼓笛隊を指導していたが、合唱部も見ていた。先生に誘われ、合唱部にも所属する事になるが、市のコンクールへは、ソロで参加することになった。「アマリリス」を歌い5・6年生の部で3位だった。6年生になり、赤十字の大会があり、釧路の街中を練り歩いた。他の学校の指揮の子は上手で、自分は右手が長い時間使えないので、しっちゃかめっちゃかで、惨めだった。その後、鼓笛隊は、後輩に引き継いだが、歌のコンクールは、出る事になった。僕の歌う歌は、確か「みんなで地球儀回そうよ」に決められた。後半の高い音が時々出なくなるので、あまり好きではなかったが、どうやら優勝候補2・3人に入っていたようだ。プレッシャーに弱い僕は、気にしすぎて、本番でその高い音が出なかった。声が裏返って、すっとんきょうな声になりそこで歌を止めてしまった。後は泣きっぱなし。一緒に参加した同じ学校の子が優勝した。表彰式で大会委員長が、「途中で止めた子がいたが、最後まで歌って欲しかった。充分優勝を争えた。」と。誰の事かすぐ解った。それでも、5位だったが、合唱部は止めてしまった。人前で歌うのがいやになった。その後、もっぱら、聞き手に回ることとなる。
ラジオの深夜放送が始まった。釧路は電波がよく、深夜、東京の殆どのラジオが聞けた。
to be continued

アメリカンポップスに出会って!(音楽な日々vol.1)

2008 年 11 月 12 日 水曜日

紅白歌合戦を始めてみたのは、幼稚園の時だった。叔父のうちで、テレビを買った。大晦日、みんなで行く事になった。テンテレビというメーカーで、14インチくらいの白黒の円い画面。同じ頃なんでALWAYSを思い浮かべて下さい。この年、橋幸夫が初出場。「潮来笠」を歌った。島倉千代子、美空ひばり、フランク永井、三橋美智也、春日八郎など一世風靡した往年の有名歌手が出ていた。(実は、この年から今まで、紅白を見なかったのは2度しかない。)
翌年、我が家でもテレビを買ったので、小学校の頃は、テレビの音楽番組は欠かさず見ていた。紅白は全曲歌えて、煩い!とよく叱られていた。特に、橋幸夫、舟木和夫、西郷照彦の御三家の全盛期。今でも歌えるが、A面曲は全曲歌えた。「歩く歌謡曲大百科辞典」と友達から呼ばれていた。今は3回くらい聞かないと覚えないが恐らく、その頃は、1回聞いたら覚えていたんだと思う。
鈴木やすしと木の実ナナがやっていたオーディション番組「ホイホイミュージックスクール」で布施明、日野てる子、三田明が売れると予想し、本当に売れたので、友達の間では、有名だった。(数人の音楽好きの友達の間 :mrgreen: )因みに、ドリフターズは、このオーディション番組のバックバンド。途中、コントもやっていた。番組で名前を募集。加藤チャンから加藤茶。あごが長いので、イカリヤ長介などと付いた。
この番組やヒットパレードなどで、洋楽を知るようになった。
子供の記憶で確かではないが、5年生のとき、あるラジオ番組で、デルシャノンの「悲しき街角」を聞き、洋楽にのめりこむ。その頃、ビートルズが登場する。
中学生になり、ラジオで湯川玲子さんがやっていた「今週のベストテン」とみのもんたの「9500万人のポピュラーリクエスト」なんかを欠かさず聞いていた。歌謡曲もしっかり聴いていて、月刊の「平凡」「明星」も買っていたが、ビルボード誌やキャッシュボード誌もチェックしていた。ビーチボーイズ、ローリングストーンズを経て、ブラッドスエットアンドティアーズ、クリーデンスクリアウォーターリバイバル、などに傾注していった。

カラオケは平井堅が好きです。(音楽大好き!vol.1)

2008 年 10 月 31 日 金曜日

昨日、カラオケに行ってきました。久しぶりです。歌った日は気持ちがいいです。
2年ほど前までは、月に2曲ペースで歌、覚えてました。最近は怠けているんで、月1もこなしてないです。因みに、今年覚えた歌は、平井堅の「いつか離れる日が来ても」「キャンバス」「写真」、ミスチルの「HANABI」「GIFT」、サザンの「I am your singar」、清水翔太の「HOME」の7曲です。
実は、歌については、ちょっと夢があります。3年後に、自分のコンサートを開く事です。(人、集まるかな? :cry: )そん時、 絶対歌いたい曲は、今のところ、 :roll:
一青窈の「ハナミズキ」、
BoAの「メリクり」、
MISIAの「眠れぬ夜は君のせい」、
平原綾香の「明日」、
ミスチルの「しるし」、
オレンジレンジの「花」、
スキマスイッチの「ボクノート」、
レミオロメンの「太陽の下」、
桑田の「風の詩を聞かせて」、
コブクロの「さくら」
平井堅の「君の好きなとこ」と「even if」
どれも大好きな曲です。