2010 年 7 月 のアーカイブ
中学受験! 「志築の考え方」 夏のその3 「成長の夏休み」
2010 年 7 月 23 日 金曜日A子ちゃんは6年生4月の入塾でした。予定では、夏休み前には6年分野を終え、夏休みには5年生分野の復習。遅くとも9月中には、すべて終了し、10月からは、本格的に、入試問題へのチャレンジのスケジュールでした。運動会や新型など色々あって予定通りにはなかなか進まず、スケジュールからするとだいぶ遅れ気味になりました。7月、一気にペースをあげ、宿題の量もぐんと増やしました。一気に取り戻そうとしたのです。彼女は、少し勉強がいやになってきました。難しいところなんですが、普通の受験塾は塾のペースで進めます。私どもの塾はそうはいきません。一人・一人を大事にするからです。
お母さんから今日、休むとの連絡。勉強が嫌いになりかけているとも言っていました。目標はあくまで合格。ペースを落とせば、ゴールが見えて来ません。心配しましたが、次には元気にやってきました。科目ごとに細かくペースを変えることにしました。楽しさなくて持続できません。受験まで勉強が嫌いにならず、精神をちゃんと保つことも大事です。
異変は9月に起こりました。明らかに、「やる気」が出てきたのです。間もなく、うれしいニュースが。通知表がぐんと上がって、先生からも高評価。お母さんからメールをいただき、僕らも大喜びしました。
ご両親の心配をよそに、楽々合格したことは言うまでもありません。
決して、思いっきりスローダウンしたのではありません。ただ、彼女に少し寄って、勉強のしかたを考えただけなのです。
中学受験! 「志築の考え方」 夏のその2 「やる気!」
2010 年 7 月 22 日 木曜日A君は、昨年10月の入塾です。5年生でした。ほとんど「やる気」などありませんでした。授業時間にサボって、他塾で問題を起こしたりしてたようです。ある日、彼を叱りました。「君は、一番頭がいいのに、一番勉強してない。なまけものだ!」と。その言葉はショックだったようです。勉強態度が少しだけ変わりました。3月、学校の漢字の試験の成績がよかったと本人から報告がありました。そんな話をしたこともない子です。この頃、彼の態度に大きな変化が見られました。親にも言ってなかった「中学受験を目指す」と言いました。本当は行きたかったのです。自分に甘く、後ろ向きの姿勢で自分を守ることで、自分を保っていたのです。「大丈夫だ!このまんま頑張れば、きっと受かる!先生が連れていく!」
あの彼が、今、この塾で一番真剣に取り組んでいます。
彼の潜在能力は、たいしたものです。理解力のスピードは一番です。ただ、これまでの勉強が「やらされてる!」でしたので、定着力が低く、(これを「やっつけ勉強」と言ってます。)本人も苦労してます。合格を確約出来るものではまだありませんが、きっと結果を出してくれるでしょう。僕らもやりがいがあります。そしてこの夏、彼と僕らのチャレンジ最大の山場を迎えます。
ワンピース情報! 593話「NEWS」 ドラゴン登場!
2010 年 7 月 22 日 木曜日
ルフィの新聞情報が世界を駆け巡る。ルフィの身に何が起こったかは不明。
ドラゴンは10年前からロビンを探していた。オハラのただ一人の生き残りとして。
ドラゴンは革命軍幹部を世界に散らばせる前に一度召集するらしい。(サボのことが気になる。)
そこで、何故、クマがああなったか説明するらしい。
カマバッカにイワさん戻る。サンジが指名手配の写真と違うので疑っている。
サンジはイワさんに挑戦することになった。(きっと、サンジはイワさんの弟子になる?)
クロコダイルは新世界へダズと一緒に旅立つ。(新世界でのルフィの強い味方になる?)
ビビはルフィのことが書いてある新聞に向かって「おしゃれ?」と。(刺青?修行?)
バギーは仲間と合流。モージ達は名のある囚人達の上に立つ。
サウザントサニー号を守っていたのはハンサムデュバル。そこにバイブルを持ったクマ登場!(本物?)
(今日明日中に集まれる仲間はなさそう。シキとの戦いをルフィの17歳最後の戦いと言ったように、皆が集まるのに、1年位、かかるのか?)
中学受験 「志築の考え方」 夏のその1 「中学受験は子供の成長のため」
2010 年 7 月 20 日 火曜日お母さんの共通の悩みは「なかなか勉強しない」です。大抵の場合、私立中学に行きたいと言ったのは本人らしいです。自分で言い出したのだから、やって当然。でもしない。どうしたら勉強するようになるのか。「先生の力で勉強するようにさせてもらえないでしょうか?」
子供に会ってすぐわかります。都合のいい言い分なんです。かっこいい制服もあり、私立中学へは行きたい。でもそのために塾に来ている以上に苦労して勉強するとこまでは考えていないのです。ましてや毎日継続してコツコツ勉強するなんて。たいして努力もしないで、もし合格出来たら儲けもん。高校受験もなく、大学もくっついている。そしたらもう一生懸命勉強することなどないと考えたりするのです。あま~い、あま~い考え方なのです。
中学受験はそんな甘いものではないのです。学校の勉強の数倍・数十倍のことを覚えなければならないのです。受験に取り組むことそのものが、生まれて初めての自己へのチャレンジなんです。そしてその苦労を乗り越えたものだけが勝ち得る栄冠なのです。自己の成長なくして、門は開いてくれないのです。
僕はこの「自覚」に大きな時間を割きます。勉強しなければいけないことは頭ではお子さんも解っています。1・2日は持ちます。でも3日目には元に戻ってます。「考え」と「行い」がばらばらなんです。。
でも、塾にだけは来ます。塾がなんとかしてくれると思っているからです。これを「神頼み」といいます。それでも根気よく、本人と話し合います。個人差はありますが、その時期(自覚)はやってきます。これを子供の成長というのです。自覚した子はめちゃめちゃ凄いです。びっくりします。
そしてこの夏。多くの6年生は目覚めるときを迎えるのです。
週たった4時間の勉強で合格への道は見えて来ません。
ハナンのあすなろ日誌 vol.23 「ハナンは今、釧路!」
2010 年 7 月 19 日 月曜日中学受験情報! 「札幌日大中高一貫校の入試プレテスト」
2010 年 7 月 16 日 金曜日昨日(7月15日)塾対象の入試説明会に参加しました。
昨年、初めて卒業生を出し、今年で2年目。実績も徐々に上がってきています。いつも感じるのですが、若い先生たちの熱心さ、頑張りが伝わってきます。北嶺の滑り止め的存在にはなっているのですが、お子さんを預けるにはとてもいい学校だと思っています。6年間ののびしろが一番重要だと思いますが、日大は偏差値40程度の子を60以上に導きます。勉強は毎日、毎日が大事だとよく言われますが、日大はそこに工夫と努力が見られます。6年間という長いタームを十分生かした指導と言えるでしょう。
さて、例年通り、プレテストが10月23日にあります。昨年、当塾の生徒さんも受けました。11月・12月に何をすればよいのか解ると思います。当塾でも申し込み用紙貰ってますので、問い合わせください。
さあ、いよいよ夏休み。ここが勝敗の分かれ目になります。
中学受験 ここが出る!第二弾「参議院選挙」
2010 年 7 月 13 日 火曜日参議院選挙が終わりました。世論調査では支持率V字回復の民主党政権でしたが、直前に消費税を持ち出して、自滅、惨敗しました。政権交代から10か月。事業仕分け以外の成果の少ない民主党に国民は厳しい審判を付きつけました。
さて、受験問題予想ですが、
①参議院の総定数は?②任期と改選方法は?③今回の選挙の改選数と選び方は?④被選挙権の最低年齢は?⑤比例代表の選び方は?⑥参議院で野党が過半数の国会のことを何と呼ぶ?⑦参議院で負けても何故首相は退任しないのか?⑧今回の選挙で議席を10とし躍進した党は?⑨選挙の手続などが定められた法律は?⑩今の与党と野党は?
①242名②6年、3年ごとに半数改選③選挙区73比例代表48の121人④30歳⑤個人名か政党名を書き、両方とも先ず政党の得票となり、ドント方式で政党別の人数が決まる。次に各政党間で得票数の多かった人順に当選となる。⑥ねじれ国会⑦衆議院の優越(詳細略)⑧みんなの党⑨公職選挙法⑩与党(民主党・国民新党)野党(自民党・公明党・共産党・社民党・みんなの党など)
中学受験!ここが出る!第一弾 「円仁の直筆石版発見!」
2010 年 7 月 11 日 日曜日中国で天台宗を大成させた円仁(えんにん)の直筆の石版が見つかったようです。
円仁ゆかりの岩舟町記述より抜粋「円仁とは、最後の遣唐僧として唐にわたり、日本の天台宗を大成させた世界的な偉人です。また、最初に朝廷から「大師号」を授けられた高僧でもあります。慈覚大師の後に「大師号」を受けた高僧としては伝教大師(最澄)や弘法大師(空海)などが有名ですが、「大師号」は勝手に付けられるものでなく、帝より頂くものでした。最初に大師号を授けられたことは、その偉大さを示しています。
「慈覚大師」とは、没後に朝廷より賜った贈り名であり、俗名は円仁といいます。15歳で比叡山に登り最澄の弟子となりました。当時の日本の代表的な優れた僧となった円仁は、42歳の時、遣唐使一行に加えられました。円仁45歳の3度目の挑戦でようやく唐に着きますが、その時から、中国での9年半の苦難の旅が始まります。
円仁の入唐の目的は、天台宗の発祥の地である天台山へ行くことでしたが、旅行許可証が発行されず天台山へは行けませんでした。そこで、遣唐使船から降り、新羅人(朝鮮人)になりすまし、天台山を目指します。しかし、天台山より近いところに、五台山という仏教の聖地があり、天台宗で名高い和尚もいることから、五台山行きの意思を固めます。
五台山行きでは、ようやく旅行許可を得て旅が出来ることとなります。この入唐からこのあと日本に帰国するまでの9年半にわたる大旅行記が「入唐求法巡礼行記」です。
帰国後、円仁は天台宗の指導者として、比叡山において教えを伝授するだけでなく、当時文化の遅れた東北の人々の苦しみ悲しみを救おうとして、寺院の建立、土地の開発、産業の振興に力を尽くしました。平泉文化の中心である中尊寺など、大師ゆかりの寺が今も数多く残っています。
その後、比叡山延暦寺三代天台座主となり、71歳で永遠の眠りにつきました。
「入唐求法巡礼行記」は、玄奘(げんじよう)の「大唐西域記」、マルコ・ポーロの「東方見聞録」とともに、三大旅行記のひとつとされ、唐の国や仏教中心地の様子が鮮明に窺える古代史の第一級資料です。日本人が書いた最初の旅行記で、しかも、玄奘やマルコ・ポーロが口述して他の者にまとめさせたのに対し、「入唐求法巡礼行記」は円仁が自ら書き残したものです。マルコポーロはローマ皇帝の命を受けて旅行しましたが、円仁は旅券すら得られない状況下から始まります。
「慈覚大師円仁」が、世界的に有名になったのは、昭和39年に岩舟町を訪れた元駐日米大使ライシャワー博士が、世界の人々に広く紹介したことによります。博士は論文の中で、マルコポー口の「東方見聞録」よりも歴史的に価値が高いと評しています。
この度、河南省登封市の法王寺で円人直筆の石版がみつかりました。
これは、いい問題が作れそうです。入試チェック!